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夜空に輝く18金製の月

宵山16日、夜空に力強く輝く月がありました。
祇園祭の山鉾33基の一つ「月鉾」の鉾頭。

祇園祭の由来は今からおよそ1,100年前、平安時代に京都で流行した疫病を鎮めるため、祇園社(八坂神社)にて66本の鉾をつくり疫病の退散を祈願したのが始まりです。
まさに今、疫病退散の祭りとして盛大に執り行いたい祭りではありますが、残念ながらそれとは反して縮小開催となり、山鉾巡行は行われないとのこと。

「月鉾」は山鉾の中で最も背が高く、最も重い鉾。
真木の中ほどの天王座には、夜と水徳の神であった月読尊(つきよみのみこと)が祀られています。
装飾が細部にいたるまで素晴らしく、天井の帖扇面散図(じょうせんめんちらしず)や円山応挙の金地彩色草花図など、その絢爛豪華さはまるで美術館のようです。

翌朝、巡行飾りのみをした鉾の上でお囃子の数々が演奏され解体されます。
巡行をすることなく解かれ蔵にしまわれる身、疫病退散を強く願うかのように、夜空に力強く輝いていました。

疫病が一日も早く退散しますように
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鉾頭に新月型(みかづき)をつけているので、この名で呼ばれる。
真木のなかほどの「天王座」には月読尊を祀る。古い鉾頭と天王の持つ櫂には「元亀4年(1573)6月吉日大錺屋勘右衛門」の刻銘がある。また正徳4年(1714)の鉾頭もあるが昭和56年から田辺勇蔵氏寄進の18金製の鉾頭にかえている。屋根裏の金地彩色草花図は天明4年(1784)円山応挙(1733~95)の筆。天井の金地著彩源氏五十四帖扇面散図は天保6年(1835)に町内の住人岩城九右衛門の筆。破風蟇股の彫刻は左甚五郎の作と伝えられる立派なものである。軒桁貝尽しの錺金具は松村景文(1779~1843)の下絵、四本柱の錺金具、破風飾の金具などはいずれも華麗なもので山鉾のなかでも最高のものである。天水引の霊獣図刺繍は天保6年(1835)円山応震の下絵である。前懸、後懸は華麗なインド絨毯、胴懸はインドやトルコの絨毯を用いており、北面の「中東蓮花葉文様」は平成22年(2010)に、南面の「幾何菱文様」は平成23年(2011)に復元新調された。近年下水引は皆川月華作の花鳥図に、見送も同作の湖畔黎明図にかえている。また、平成12年(2000)には前懸のインド絨毯も復元された。

公益財団法人 月鉾保存会より引用

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